あらゆる魂の鎮魂を祈る。
宮城県で迎える3月は、今まで過ごしていた3月の意味とは全く違うんじゃないか……。
軽くメディアにマトになっているのも感じる。
マトになる人はこの世のクズで、絶対に浮上しないクズを選んでいると聞いたことがある。
この町のクズには気が付いた。
「いつできたの、”赤坂”、”天皇”という地名」
仙台市パクリ文化の町疑惑。
母は、数日前から墓参りに行こうと私を誘っていた。5つの墓を移動するのには、近所に住んでいる母のダンス仲間の車だった。泉ヶ岳の近くまで行き、利府までぐるっと街の様子と雰囲気の違いを見てきた。「ほら、ここ、事件があったあの病院」地震や津波のニュースも筋弛緩剤殺人のニュースもテレビで話題になったおらが街という感覚があるような気がした。住んでいる人たちはテレビに映っている悲惨さアピールも、来てくれたタレントに合わせるように少し我慢しているように感じる。何も知らない私に合わせて観光地案内するような我慢。笑顔で我慢しているような優しい嘘を感じる。
日帰りでやってきて「ああ、すごく壊れている」
壊れているのは、心と気が付いて面の皮が軽くけいれん。
母は、墓参りをしながら言った。
「ご先祖様、気持ちを静めてください。娘を応援してやって」
鎮魂とエール。もしかすると母はこの時期、毎年墓参りをして過ごしていたのかもしれない、線香を手向ける背中に問いかける。でも、「えっ、なに?」全然聞こえてなかった。
この町に住んでいる人の心は多様化している。壊れたものが少ない繁華街では、まるで関係ないようなリアクション。でもなにかが変だ。
大きすぎたショックを押さえつけ、暴れる悲しみを隔離してプルトニウムを地底に埋めるようにどこかに記憶と心を細切れにして多重人格に近い人格形成が施されているような……。私自身にも起きていて、この頃、記憶にムラがある。住んでいる人間覇気が付いている。
きっとこの町の人は気づいている……。
欲しがらなければ与えられないというシステムの弊害だというのは正解?
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